ずっと昔に訪れたのちも記憶の隅にぼんやりと引っかかり、また行ってみたいな、という場所が私にはいくつもあります。
今回の清荒神はそのひとつで、正式には清荒神清澄寺、前段は「きよしこうじん」と読みます。寺に至るまでの参道が長く、参道沿いに様々な土産物屋が並んでいた情景がレトロで、永らく記憶に留まっていました。
所在地は、兵庫県宝塚市です。ここに祀られる「荒神」は西日本、特に瀬戸内で盛んだった土着の信仰を祖とし、竈 (かまど)、すなわち台所の神様として崇められてきました。台所が賑わえば家庭・会社が繫栄するといわれ、荒神信仰は家内安全、商売繁昌、厄除開運などの現世利益をもたらすそうです。
クルマを阪急清荒神駅周辺のコインパーキングにとめ、駅裏の宝塚市立図書館に立ち寄ってから参道を進みます。参道を上った寺の近辺に無料の駐車場があることをあとになってから知りましたが、かなりの列をなしており、さらにはこの楽しい参道へのアクセスの観点からも、清荒神駅近辺にクルマをとめたことは正解だと思いました。
参道を少し進むと、左手に市場があります。相応の広さのある市場でしたが、ほとんどの店がシャッターを下ろしていました。寂れきって人の営みが感じられない、という雰囲気ではありませんでしたので、訪れた土曜日が市場の定休日だったのかもしれません。さらに進むと、かたやきせんべい屋がありました。このあともかたやきせんべい屋を多く見かけましたので、これが清荒神の名物のひとつかもしれません。駅に最も近いこの店の店主は愛想がよく、一番繁盛していました。半生もオーダーできるようです。
この参道の全体像を、写真左に示します。私の最も好きなタイプの店を見つけましたが (写真中)、人の気配はせず残念ながら廃業してしまったようです。さば寿司のおいしそうな垂れ幕を見つけましたが、この日は休みのようでした。
腹も減ったので、レトロな繁盛店「あずまや」さんに入ります。店内も、いい味を醸し出しています。思わず、寅さんを探したくなります。レトロではありますがこのご時世、感染対策はシッカリとされています。
私が注文したのは、かつ丼。思った以上においしかったです。店内からの眺めもよいです。写真中に写る店を正面から見たのが、写真右です。ここも、レトロな雰囲気。この店の店先にあったおでん鍋の中には、麩のおでんがありました。これもまたおいしそう!次回はこの店でご飯を食べることにしましょう (再訪は、多分10年後くらいでしょう)。
参道を歩くと、ひときわ人の集まる繁盛店がありました。中をのぞくと、縁起がいいとか神の使いだとかいわれる白蛇が。しかも、子が6匹も生まれたそうで、そのうちの1匹もお目見えしていました。子はすべて白蛇だったそうです。
生物界では色素異常で突然変異的に白い個体が生まれることは稀にあることですが、よく目立つので外敵に襲われやすく、長生きはしないようです。そもそもの出生率が低い上に生存率も高くはなく、つまりは絶対数が圧倒的に少ないため、昔から白い生物は神のつかいとして珍重されてきました。こうした色素異常の変異種をアルビノといいますが、アルビノは目が赤いことも特徴です。こちらの白蛇の目はしっかりとした黒色でしたので、アルビノではなく、もしかすると白い品種のヘビなのかもしれません。
参道沿いの特徴的な店々の写真を、以下に示します。ここには掲載しませんでしたが、占いや人生相談の店もかなりの数がありました。
こちらが、寺内の風景です。清荒神では厄除けに火箸を授与されますが、その奉納所の眺めが圧巻です。寺内の詳細は、こちらのホームページをご参照ください。
私も火箸を入手しましたが、私の場合は祀っておくのではなく、そのまま実用に供します。別途ご紹介の予定ですが、ただいま炭火での調理にハマっており、どうしても火箸が必要だったのです(笑)。
(いずれもピンぼけた写真、すみません)
私は絵馬を眺めるのが好きですが、今回のトップ3は以下でした。
- なかずに学校にいけるようになりますように (さつきちゃん)
- ねえねがテストで全力だしきれますように (わかなちゃん)
- ホワイトで福利厚生が整っている人間関係に恵まれている企業に内定を頂き、幸せな人生を送れますように (りなさん)
う~ん、現世御利益をもたらす荒神様なので、3.のような「ズバリ」のお願いもありなのかもしれませんね~。
あれ?大事な点が抜けてる??薄給でも問題ないのでしょうか???抜け目のないりなさんのこと、「福利厚生」や「幸せな人生」のところに給与のことも含めたのかもしれませんね(笑)。
時間の関係で今回は惜しくも訪ねられませんでしたが、清荒神には富岡鉄斎美術館「聖光殿」が併設されています。歌劇場しかなかった宝塚に宗美一体の理念を持ち込み、新たな名所を創出しようという試みで建てられたそうです。美術館のホームページによれば、「入館料の全額は美術図書購入基金として宝塚市に寄付し、宝塚市立中央図書館内に「聖光文庫」を設けて、豊富な美術関係図書を収集し、当館の鉄斎作品の展示と併せ、地域文化の向上発展の一助となることを念願しています」とのこと。この美術館と中央図書館の聖光文庫は、是非に訪問せねばなりません。
最後に、書籍の紹介を。鴻上尚史、佐藤直樹の対談形式の著作「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」です。
大震災に際しても列を乱さぬ日本人、コロナ事態においてにわかに活動を始める自警隊 (これは、他県ナンバー狩りなど、悪い意味を指します)、芸能人の不倫などまったくもって個人の範疇に関わることに徹底した批判を繰り返す日本人。日本人は世界に類を見ない珍しい特性を示しますが、これらは「世間」や「穢れ」など、日本独自で我々日本人に太古から刷り込まれてきた一種の文化に起因しているようです。
「世間」の間尺に合わぬものを徹底排除しようとする、一方で「世間」を騒がす、「世間」に迷惑をかけることを極端に忌避することから災害時でも規律を乱すことを抑制する。いずれも日本独自の、「世間」に端を発する「同調圧力」のなせる業だと、二人の著者は論じています。
ではなぜ、日本には世界に類を見ない「世間」という概念が存在するのか?この記事の冒頭で、私は「荒神は特に瀬戸内で盛んだった土着の信仰を祖とし」と書きましたが、日本は古くは各地にこのような様々な土着の信仰が存在する多神教国家だったそうです。そして、争いごとがあるとなんでも神様に決めてもらう。
チビッ子たちがブランコの取り合いになったときにどうするでしょうか?欧米では、いかに自分がそのブランコに先に乗る理由があるのか、お互いに口角泡を飛ばして議論する。日本では、じゃんけんやくじで決める。そう、日本人は争うことを忌避し、多神教の神様に決めてもらうわけです。みな神の前では争わず、横並びで抑圧される。これが世間の成り立ちの一つの起源である。
私は日本独自の「世間」に関心があり、その研究の第一人者である阿部謹也氏の書籍を読み漁った時期がありました。阿部氏の本は、世代の離れた私からみると少々例が古く肚落ちしない部分もたびたびでしたが、今回紹介した「同調圧力」はいままさに我々が直面しているコロナで浮き彫りになった日本人の特色を実例として「世間」との関わりを紐解こうと試みた書籍であり、非常に興味深いものでした。
こうした日本人の特色は各国の研究者の研究対象にもなっているそうですが、別の書籍「ハーバードの日本人論」によれば、日本人ほど自身のルーツを探求したがる人種は世界でもあまり多くはないそうです(笑)。
今回は、ここまで。
次の機会にお会いしましょう!
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